科学者と民衆の溝

事業仕分けの様子を見てみると、科学者と仕分け人の間には深い溝があるようです。
 科学・技術を進める科学者や行政管理者は、自分のやっている仕事の意義を十分理解しておらず、社会に対する説明責任を果たしていないと思います。自分のやっていることが当然のことであるという傲慢さが見られます。血税を使っているのですから、どんなに基礎的で抽象的な研究であっても一般人にも丁寧に説明する必要があると思います。
 一方、民衆を代表する仕分け人達は、科学・技術がどのように国家の経済や文化を発展されるかという点を全く理解せず、近視眼的な議論が目立ちました。あまりにも低すぎるレベルの視点から見ているため、日本という国がどこに向かうべきかを考えてないようです。科学・技術政策は国の存亡に関わる問題であります。民間企業でも投資を技術開発に投資をしない企業は衰退していくのは、常識となっており、国も一つの企業と考えれば、当然、技術・開発のような戦略が必要となります。
 外国人招聘プログラムの中で、仕分け人達が外国人の占有率が30%以上である根拠が不明確であるとのコメントがありましたが、これはグローバル社会の常識からあまりにも逸脱している認識から来る愚かな質問です。現在は企業でもグローバル化がすすみ、人材なども世界の人々を相手に募集されています。アメリカや日本の理化学研究所でも優秀な研究室では外国人の占有率が高いのは、当たり前であります。世界市場で有能な人材を募れば、日本人だけが有能であるはずがないので、自然に外国人の比率は上がってきます。外国人の比率が30%や50%で有ることを云々すること自体、グローバル社会に対する認識が甘すぎます。
 それから、仕分け人達はやたらと日本の利益はどうなるかを論じていたようですが、グローバル経済社会では自国の利益ばかりを考えて行動を考えるはあまりにも近視眼的です。日本が世界の科学・技術にどう貢献できるかというグローバルな視点が必要であると思います。
このように科学者と庶民の間の溝を埋めるために、両側を理解する専門家なり、組織なりが必要であると痛感致します。日本には世界を見据えた国家的科学・技術政策とそれを広める専門家や組織をいかに作り出すのかというのが、課題であります。