曲がった木の効用

 先日、NHKでお寺の修復に曲がった木が使われているという番組があった。何百年前のお寺の修復が開始され、解体されたところ、中心部に曲がった木が使われていたことが分かった。昔の建築家は曲がった木の耐久性が高いことを熟知しており、わざとお寺の中心部を支える部分に曲がった木を使って、作り上げたのだった。修復の専門家は、曲がった木を探して、日本中を歩き回ったが、なかなか見つからなかった。最近では、曲がった木は周りのまっすぐの木の生長を邪魔するので、曲がった木はすぐに切り倒され、まっすぐな木だけが手に入らないということだった。
 私の住んでいる地方は風が強く、木はすべて風雨にさらされて、曲がったものばかりだった。私の父はここの木は曲がりくねっていて、繊維がよじれているから、木を切るのが大変だとよくこぼしていた。木は風雨にさらされると、曲がっていても繊維が複雑に絡み合って強くなるのである。
 このことは、人の成長と似ていると思う。人間でも色々な経験をしてきた人は、いろいろな問題にも対応できる。文学なども苦労したほど、良い作品を作れると思う。
 現在の日本の教育では、まっすぐに迷わずに大学受験に進み、そのまま大手企業や官僚になるのがよしとされ、回り道をする人は冷遇視されてきたのではないか。一つの組織にしがみつきまっすぐに育ったサラリーマン精神は魅力に乏しく、現代のような変化の激しい時代にはふさわしい人間像ではないと思う。
 これからの時代は道は一つではなく、様々な道が存在し、あるいは、回り道をした人間にも復活する道を提供できるような社会・教育体制が必要であると思う。