競争的環境で生きるには変わった人と仕事をしよう

私は、博士号を取りたいと思い、社会人枠で生物学系の大学院に入学した。所属した研究室は世界的にも有名で、Natute誌から取材を受けたことがあるほど有名で研究室内の人間関係は最悪であった。


200人以上の大きな研究室で、研究資金も豊富にあったので、常に10以上の研究プロジェクトが動いていた。だが、教授も短気で、すぐに怒りっぽく、研究員たちもいつも教授の悪口を叩いていた。競争も激しく、人のテーマやアイデアを平気で盗む研究員も多くいた。私自身も二度ほどアイデアを盗まれたことがあった。


研究の世界で生き残るために、博士号を取ろうと、多くの時間とお金をかけたが、その研究室では私の人間関係のまずさと能力の低さから結局、博士号を取得することはできなかった。


その大学院生活は今思い出しても嫌なことばかりだった。だから、そこから学ぶべきものは一つもないとずっと思っていた。しかし、最近考え直してみるとそうでもないと思うようになった。おそらく次の二つのことが分かった。


一つ目は、私自身の適性として研究者には向いていないと気付き始めた。20年以上も大学・研究機関と関わってきたが、どうも椅子に座って真面目に仕事をするというワークスタイルは私に向いていないことに気付いた。たまたま、受験勉強が得意で大学に入り、大学の学問の中に自分の得意分野があるに違いないと思って、探し続け、その中に自分を押し付けようとしていたが、その中には自分に合うものはなかったのだ。大学院での大失敗によってそのことを思い知らされたのだ。


二つ目に気付いたのは、瀧本氏のインタビュー記事を見ていて気付いたことだ。
「目の前にいる上司に協力することも大事だけど、会社の中でヘンなことをしようとしている危ない人と密かにつながりなさい」
瀧本氏は、会社では上司の言うことを聞くだけではなく、変な人の仕事をやれと言っていたことだ。私もこれに同感だ。というよりも、先の研究室では戦略的に変な人、主流ではないが、できる人といい関わりを持っていつか一緒に仕事ができるように動いていた。博士号取得には失敗したが、そこで人生教訓を得ることができたと思う。


その研究室でも主流の研究テーマがあり、多くの研究者や技術者が関わっていた。確かに、主流テーマは先も読みやすく成果も出やすいが、凡庸な人間が多く関わっているので、凡庸な人間同士の競争も激しい。私のように人間関係スキルの低い人間は、馬鹿にされ、弾き飛ばされてしまう。凡庸な人間に利用されて終わりなのだ。


私は、研究室の中でできる人間を探すように努めた。なぜか私には本当にできる人間を見つける嗅覚があるのだ。できる人間はあまり主流には乗りたがらない。自分の力で一流になれない二流の人間だけが主流に乗って大騒ぎするのだ。主流に乗らないできる変な人と組むと先行きは不透明だが、当たるとでかいし、競争相手も少ないので、自分のやりたいようにできる。


結局、競争の激しい環境では、変な人、本当にできる人と一緒に仕事をした方がよく、その人を師と仰ぎ、ついて行った方がよいかと思う。