人間は自然脅威に対して自然に協力しあう

子供がヨットクラブに入会したので、ついていった。今年は、私の家族を含めて、二家族だけだった。女の子二人、男の子一人だった。

参加するには親も一緒が必須となっている。親ならば、自分の子供をしっかり見ているそうなので、親も一緒に参加してほしいと言われた。

大人4人(指導員2人、親2人)で、子供3人なので、大人の方が多いのだが、実際に、ヨットで沖に出てみると、これでも足りないという事が分かった。一人の子供がヨットを沈没させてしまい、救命艇のそばに寄せて、必死で水をかき出していると、いつも間にかもう一人の男の子がいなくなってしまい、びっくりして我々大人は探し始めた。よく見回してみると遥か向こうに一人で港に戻ろうとしていた。男の子の無事を確認したかったが、沈没した船を置き去りにもできない。結構焦った。このような出来事からやはり、親がきちんと自分の子供を見ていなくては、何が起こるか分からないという事が分かった。

あまり私自身はこちこちの自然主義者ではないが、ヨットをしていて感じたのは洋上では常に自然との戦い(ちょっと大げさ過ぎ?)であると思う。マリンスポーツは自然(この場合は海や湖)を利用して、遊ぶ事だが、マリンスポーツ等をやる事は子供や大人にとってとてもよい経験だと感じた。

ヨットをやっていると常に予想外のハプニングがある。いつ何時、何が起こるか分からない。何か起こったときは人間が協力して問題を解決する。自然に対しては人間は自然に集団で協力し合おうとする。そうでなければ、やられてしまう。自然対人間(集団)という構図になる。

町でくらしていて学校や会社に行っているときは大自然に対応というよりも他の人間(集団)に対応する事になる。相手は人間(社会)であったり、人工構造物(建物や道具)であったりする。それは人間(集団)対人間(集団)となり、だれか他の人間が決めたルールの上で、なにかをする事だ。

なぜか、人間は自然に対する脅威(問題)に対しては自然と協力し合い、対処する。おそらく、これは我々が文明を持つ前からある本能的な協力関係なのだろう。そのような自然に対峙する経験からいろいろなことが学べると思う。

文明化させすぎて、人工構造物の中で暮らしすぎて、何が本当のものなのかを失っている現代人が多いと思う(私も含めて)。文明化されすぎた現代社会の人間には自然と対峙する経験が不可欠であると思う。