学校教育は使い捨て傘の製造場所

 今日は、雨が降っていたので、使い捨ての傘を使った。さて、帰る時に、使い捨ての傘を持って帰ろうと思ったところ、傘立てにいくつかの使い捨て傘があり、どれが自分の傘か分からなくなった。
 この使い捨ての傘を見ていて、学校教育で作られる画一的な無個性な子供たちと同じではないかと思った。必要なときには、使われるが、不要なときには、置きっぱなしになって、いつかゴミになって捨てられる運命だ。他の傘と区別できず、無個性のまま、集団に埋没しているのだ。誰からも大事にされない。
 もう使い捨てのサラリーマンを生み出すシステムにおさらばしなければならない。