スキー場で地震にあった

 東北関東震災の地震の時、私はハンターマウンテン塩原のスキー場にいた。スキー場で一人の幼稚園児のスキーの指導をしていた。そこでは震度6弱だったが、恥ずかしながら、私は気が付かなかった。私はその時、少し急な斜面を後ろ向きに滑っていて、子供のスキーを指導していた。たぶん、後ろ向きで斜面のでこぼこに気が付かないで、よろけた時が地面が揺れていたのかもしれない。自分が下手で地面のでこぼこでよろけたのだと思っていた。途中でスノボーカップルが地震だと言っていたが、大したことないと思っていた。
 下に滑り降りてみると、大地震があったことを知らされた。停電でリフトが止まっていた。私もスキー場のスタッフなので、リフトが止まり、中吊り状態のお客さんを助ける準備をするように言われた。スキースクールのスタッフの何人かもゴンドラやリフトで宙吊り状態になってしまっていた。私も三分ほど遅かったら、宙吊りになっていただろう。パトロールの人たちが長い棒をもってリフトから人を降ろそうとしていた。
 30分ほど経った頃にやっとリフトの自家発電装置が働き、リフトが動いて宙吊りの人たちが戻ってきた。リフトで宙吊りの人達は凍えてしまって、文句を言っていた。結局、リフトの復旧の見込みはないので、営業修了とのアナウンスがあった。
 携帯電話もつながらず、メールしか送れない状態だった。この状態では家に帰ることができないので、スキー場の寮にもう1日泊まることにした。停電は直らず、夕飯もおにぎり二個を用意してもらった。家族と連絡が取れないので、いろいろとやったが結局だめだった。先輩と一緒に常勤職員の寮に泊まることにした。停電は直らないので、8時ごろ寝ることにした。朝の4:30頃に停電が直ったので、テレビを見たら、ひどい状況になっていることを知った。その頃には携帯電話が通じるようになっていたので、家族と連絡を取ることができ、とりあえずみんな無事なので安心したが、自宅もものが散乱しているとのことだった。
 朝、仕事の準備をしたが、今日はスキー場は営業しないと言われた。会社の方から帰宅するように言われた。私は、家族のことも心配だったが、途中帰宅難民になるのが心配だった。しかし、帰宅することにした。同僚のおじさんが那須塩原駅まで送ってくれた。ところが、那須塩原駅に着くと、駅員がいないで、営業しませんという張り紙をしてあるだけなので、どうしてよいか分からなくなった。このままでは帰宅避難民になってしまう!しかし、送ってくれた同僚のおじさんがとてもいい人で最終的に家の近くまで車で送ってくれることになった。家からも車で来てもらえて何とか家に帰ることができた。
 本当に今回の震災は大変だ。