イシューとは変革をもたらす本質的課題

安宅和人の「イシューからはじめよ」を読んだ。著者はマッキンゼーコンサルタント脳科学の研究者である。ビジネスと科学研究の両面から知識労働について関わってきた人だ。

私の理解では、彼が言うイシューとは、科学研究においてこのことが分かると科学全体が変化するような本質的課題のことだ。例えば、天動説に対する地動説や、ニュートン物理学に対する相対性理論のように今まで通説と考えらてきた理論を覆すコペルニクス的展開等を指す。つまり、パラダイムシフトを起こすような科学的革命のことだ。

ただ、一般人については相対性理論のようなだいそれた理論ではなく、何か常識を覆すようなものと考えたほうがいいだろう。ビジネスで言えば、新しい市場を開拓するという事かと思う。

私は多くの大学や研究所で科学研究?に関わってきたが、いつも分からないことが一つある。研究者が論文を書くためには誰も見つけていない何か新しいことを書かなくてはならないが、どうやってそれを見つけるのだろうかいつも不思議に思う。

私は大抵一人で考えているので、何か新しい研究テーマを見つけるのが難しいという経験をいつもしている。他の大学院生たちは教授の与えるテーマを受け入れ、さっさと論文を書いて、卒業していく。私はいつも何をやっていいのか分からず、迷うばかりだ。だが、なぜ、大学の教授たちは何かテーマを思いつくのだろうか。

論文のテーマはイシュー程レベルの高いものではないが、一応イシューの仲間なのだと思う。

自分では面白いテーマを面白いと思うセンスはあると思うが、自分でそれを発見することはほとんど出来なかった。一流の研究者が、プレゼンをすると面白いのは分かるが、なぜその人がその内容に気づいたのかがわからない。一流の研究者がそれを目の前に見せてくれば、それが素晴らしいことは分かるが、どうやってそこに到達したのかがわからないのだ。つまり科学の世界では見えてないのだ。私は科学に対しては出演者ではなく、観客なのだ。それは、スポーツはやらないけど、スポーツを見る人と同じだ。あくまでも観客なのだ。

あたり前のことだが、見えている人には見えているが、見えてない人には見えていない世界があるのだなあと思う。